出会い。
「今夜はたったひとりの人に巡り合えた気がする。」
先日、月9ドラマをたった2日間で再放送した松嶋菜々子と堤真一の『やまとなでしこ』に出てくる名台詞。
(「...こうやって42回折り畳むとすごい厚みになって、新聞紙の厚みだけで月まで届いちゃうんですよ」という好きな台詞がカットされていたことが非常に残念だったが。)
そう思える出会いがあった。
出会いとは美しくも儚く、それはまるで形のないシャボン玉のようなもの。
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と、意味のない詩にしてみた。
意味をつけるなら、
弾けたことで解き放たれる出会いもあれば、弾けたことで消える出会いもある。ということにしておこう。
そして、 出会ったのは...
これの意味がお分かりだろうか。
簡単にいうと、
便利=豊か、人はそう勘違いする傾向にあり、不便であるが故に、得られる徳があることを見逃しがちである。
ということである。
3月に書いた「ないことはない。」で、うまく表現できていなかったが、言いたかったことが、京大の教授によって凝縮され、この本で表現されている。
NHK『又吉直樹のヘウレーカ』という番組で"不便益"が紹介され、すぐに書籍を購入した。書籍の中で紹介された『WALL-E』も(以前から気になっていたこともあり)すぐに視聴した。
腑に落ちないを例にあげよう。
- エアロバイクに乗るために、スポーツジムへ車で通う。
- 食パンがあるのに、揚げ物をするためにパン粉を買いに行く。
- アウトドアを楽しむためにキャンプに来ているのに、"入れるだけ調味料"を買う。
自分もしていたことがあるので、偉そうには言えないが、便利になりすぎて失ったものが多い、と今は思う。
そういう意味ではここ隠岐の島は、不便と便利のバランスを失い切ってはないと思う。
もし、"便利" に疑問を感じた人がいるなら、是非一度訪れてほしい。
そうまでしなくとも、今日紹介した「ごめんなさい、もしあなたが・・・」と「WALL-E」には触れて欲しい。
これを見てくれているあなたは、中学校は難なく卒業し、おそらく義務教育ではない高校(つまり国が必要と考える最低限ではない高度な教育を受けている)も卒業しているはず。
そんなあなたが、例えばご飯を炊飯器でしか炊けないのでは、きっと何らかの意に反する。
得意不得意があるのは理解している。でも、やっぱり、
やれるに越したことはない。
もしかしたら、"PR上手なメーカーの掌で転がされているだけ"かも知れないから。
不便を楽しめる心の余裕が、きっとあった方がいい。