みかん。

昨日は楽しかった。

隠岐の島は、大きく"島前"(とうぜん)と"島後"(とうご)に分かれる。島前は3島、島後は1島から成る。

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島後は2004年9月まで、西郷町布施村、五箇(ごか)村、都万(つま)村の1町3村に分かれていたが、平成の大合併にて、隠岐の島町1町になり、西郷などの村名は地名として残されている。それぞれの地の中に、更に区分けがあるが、未だ把握しきれていない。

私が住むのは都万の上里(かみざと)。昨日は、公民館に上里の44世帯が集まる、年に1度の総会であった。年間の活動報告、会計報告、向こう一年の予算、役員の選出がされる。コの字型に座卓が配置され、前方には区長である我が家の大家Iさんと、もうひと方座っていた。途中、私の自己紹介もした。総会はものの30分で終了し、その後新年会が行われた。どうやらこちらがメインのようだ。

昼12時頃に栓を抜いて軽い区長の挨拶の後「乾杯!」とスタート。40代〜80代までの個性豊かな男女が、みなタメ口でざっくばらんな話をする。私はと言えば、大阪から来たことを何度も説明する。話を聞くと、大阪に住んだ経験のある人が沢山いた。なんでも団塊の世代の方々は、中学または高校を卒業すると同時に、出稼ぎのような形で大阪に出て行ったんだそう。他には都万の人間は飲み始めると長いやら、子どもの頃このどうしようもないこの3人が横綱大関、関脇の愛称で呼ばれていたやら、他愛もない話で3時ごろまで盛り上がり、気付けば40人近くいたはずが、10人ほどに減っていた。酔いもほどよく回り、2階の大広間から1階の小部屋へ移りニ次会が始まる。残り物のオードブルを摘みながら、焼酎のお茶割をやる。飲んでは注がれ、飲んでは注がれを繰り返す。ここでも畑の野菜は好き勝手抜いていいやら、こいつは競馬で買っても全く口に出さんやら、あの家に電気が付いてるから誰か引っ越して来たんやと思ってたやら、日が落ちる6時ごろ(だったと思う。記憶は定かでない。)まで、他愛のない話で盛り上がり、宴酣で解散。千鳥足で家にたどり着き、着替えもせず、そのまま布団へ入った、ようだ。

いつも通り朝6時に目覚め、いつも通り少し本を読み、起き上がると、机の上にスーパーの袋にはいった沢山のみかんが置いてあった。全く記憶にない。が、ここに来て初めてのお裾分けである。昨日のことを振り返る。酒もほど強くタバコを呑むことで、大いに受け入れてくれ、仲間入り出来たと感じた。このみかんがそれを物語ってくれているようだ。しっかりと味わって食べよう。

そして、この曲を思い出す。

https://youtu.be/uObWteyNqFw

 

「人生これから」の