何でも平等。

ニュースで出た話題が引っかかりました。インタビューの話です。

 

「今日の晩ごはん何食べるか、ルーレットで決めるんです。」

 

そう、東京で働く二十代の女性グループ3人が記者の質問に答えていました。

 

誰かだけが悲しくならないように

誰かだけが楽しくならないように

誰かだけがおいてけぼりにならないように

 

そんな理由だと想像してみました。

 

いま、小学校で非常勤講師として働いていますが、

約20年前、大阪で40人の子どもを担任していた頃、

先輩の教員から聞き、衝撃を受けた話があります。

 

「ある時代、手をつないでゴールする徒競走があったんやで。」

 

徒競走とは、そもそも足の速さを競う、言わば"かけっこ"。

これに"手をつないで一緒にゴールする"というルールを学校がつける時代があったらしい。

 

???

 

その理由は「優劣をつけることが悪とされた」かららしいです。

つまり一緒にゴールするのが「平等」だと。

 

ニュースでインタビューを受けていた、今の時代を真面目に生きている二十代女性たちは、

相手を気遣い、傷つけないように生きているし、

自分を気遣い、傷つかないように生きている、

だと思います。

一緒に並んで走りたいんです。

 

良いように聞こえますが、ここに違和感を感じます。

傷つかないのがいいのか、という疑問です。

 

話が少し飛びますが、新型コロナウィルスで世界はわちゃわちゃしています。

でもワクチンが出来たおかげで少し落ち着きを取り戻しました。

 

ワクチン接種は、少し自分を傷つける行為です。

人間は傷つけば"自然治癒力"と称される「生きる力」を持っています。

そういう活動を税金を投じ公的に作るわけです。

 

 

思考のレベルでは、平等でも、

生死のレベルでは、平等は唱えられません。

 

「多様性」という概念が当たり前になり、

「平等」という言葉が取り沙汰されているようです。

 

この相反するような、

共存が難しそうな、

でもうまく言葉としては並べられる、

この二言をどう形にするか。

 

いま社会を担っている私たちにかかっているような気がします。

 

どうすればいいのか、悩み楽しみたい。

そんな9月の夜です。