辞任。
ずっと引っかかっていた言葉がありました。今日溜飲が下がった気がします。
「責任」という言葉。
何を思い浮かべましたか?
「責任取れよ!」
「責任を取って辞任します。」
「どう責任取るつもりですか?」
など、
始めたことが、ある区切りで他人から言われる(他人に言わされる)批判的な言葉になっている気がします。
これだと出来るだけ責任がないように生きたほうが良い、そう思えてきますよね。
責められるのは、みんな嫌ですから。
でも本来の「責任」ってそうではないと思います。進んで自らの責任にすべきものです。
自分の人生に何かしらの影響がある以上、すべて自分にも責任はあります。
"自分の人生に何かしらの影響がある"と考える範囲は人それぞれだとは思います。
ただ例えば、文句が出るということは自分に影響があるということです。
それを誰かが助けてくれると思っているのは、変じゃないですか?
私は文句だけ言う人を、助けたいとはあまり思いません。みんなも同じだと思います。
文句を言うことが悪いことではないと思っています。たまには仕方ないです。
でも、文句しか言わないのは、気持ちいいものではありません。
例えば、
「これどうすんだよ!責任取れるのかよ!」
なんて言っちゃう人は、自分は責任の範疇外、つまり無関係な人に成り下がろうとしてしまっています。
自分の人生の一部なのに、無関係でいいのかなと思います。
さらに言われた人だけが、すべてを解決しなければならなくなってしまいます。
でも問題は、みんなで解決したほうがいいに決まっています。
"〇〇責任者"という役職があっても、みんなで考えたほうがたくさんの解決策を見出だせます。
「責任」には「取る」より「果たす」方が似合ってるな、と気づきました。
これで引っかかりが取れたんです。
大好きな本「座右の寓話」にこんな話があります。
『悪者ぞろいの家』
この家は悪者ばかりです。その隣の家は善い者ばかりです。
でも喧嘩しているのは、いつも善い者ばかりの家です。なぜか。
悪者ばかりの家は、みんな自分を悪者扱いします。
でも、善い者ばかりの家は、みんな自分を善い者扱いします。
花瓶が割れた。
「私の、不注意でした。」
「いや、私がそんなところに置いたからだ。」
「僕が割れやすい花瓶を買ってきたのが軽率だった。」
などと、自分を悪者にします。
ちょっと偏ってるかもしれませんが、これが「責任」じゃないかなって思っています。
そうすれば、もっとみんなが気楽に優しくなれるような気がします。
※ 植松さんの本読みすぎて、文面が植松さんに寄ってきているかもしれないのは、きっと気のせいです。笑