こうし。

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ドナドナドナドーナードーナー♪

これは家から歩いて1分ほどの道端です。

でもこの牛は売られていくわけでなく、お家に帰ってるとこです。
つまり日常です。

 

そんな場所に住む筆者の主税ですが、最近改めて思わされたことがあります。

 

年齢が若いほど、プライベートの範囲が広くなっている。

 

とゆうか、正確に表現すると、プライベートの対義語はパブリックですが、仕事とパブリックとプライベートに分けた上で、プライベートの範囲が広くなってる気がします。

それって色んな顔を持ち、調整出来るってことだと思います。色んな顔を持てるってすごい能力だなと思いますが、不器用な人間としては、器用すぎて少し恐く感じてしまいます。

 

ただ同時に、30年余り生きてきて自分の感覚が人と違うことにも、ちゃんと気づいています。

多くの人は、自分のテリトリーをきちんと持っていて、簡単には覆りません。

でもボクはテリトリーを作るのが苦手です。懐に入るのが得意な人はわかりやすいですが、懐に入りやすい人は想像しにくいと思います。"入りやすい"だけで"入られやすい"わけでないのがポイントです。

なんで入ってくれないのかな?の毎日がオンパレードです。もう少しわかりやすく言うと、

 

「ボクと仲良くなろうよ!!」

 

と言ってるつもりです。でも個々のプライベートがそれを阻んでしまうのだと思います。

何でそう思うのか、それは一人が寂しいからです。
それしか答えが浮かびません。

でも、間違ってはいけないのは、20人クラスにいたから楽しいのではないです。
それは空間を共にしているだけで、極端な話、沖縄にいる人と北海道にいる人が同じ日本にいるじゃないっていう違和感と同じです。

 

"公私"を共にしたいのです。

死ぬまで一緒になにかに取り組みたいのです。
揉めて、喜び合って、悲しみを共有して...

 

そんな関係に憧れてるのでしょう。

 

彼女ではなく、奥さんでもない、こいつがいなければ主税は語れないってやつ。
そんなやつが人生にほしいのです。勝手ですよね(笑)

 

 

ぱっと二人浮かびましたが、そのうちの一人はK。
彼はボクが擦った揉んだしてる内にK夫妻に成り上がりました。

ちなみに、ブログの楽しさを教えてくれたのはKです。

異常なほど時間を共にしましたが、未だに"私"を共には出来ていないません。
というか、させてくれません。

 

個人的なこと
公共的なこと
友人のこと
両親のこと
家族のこと
それぞれを顔を持っているとするならば、
皆さんにとって一番大切な"私"はどれですか?