討論。
トランプ大統領とバイデン氏の討論をニュースで観た。
討論なのかさえ怪しい批判の仕合い。
大統領になるとは、自分の信じる政治を実現することだと思う。
しかし、そこに「勝つ」という要素が際立ちすぎてやしないか。
それは日本の選挙でも同じことが言えると思う。
しばしば「目的」と「手段」が逆転する、ということが言われる。
ここでいう「目的」とは"アメリカ合衆国をよくする"こと、
その「手段」が"大統領になる"こと、だと思う。
例えを作ってみよう。
教師「今日の学活では、学級委員長を決めます。学級委員長にはAさんと、Bさんが立候補しています。2人にお話を聞いてみましょう。ではAさん。」
A「このクラスを男女が違いを認め合い笑顔溢れるクラスに・・」
B「この間『女子にはどうせ無理』なんて言ってたでしょ!あの言葉は忘れらないよ。」
教師「まだ話している途中なので、Bさんもう少し待ってね。」
A「笑顔溢れるクラスにしたい!そのために重要な風紀委員は、学級選挙で決めたいと思います。」
教師「ではBさん。」
B「男女のが違いを認め合うには風紀委員は欠かせない存在です。その風紀委員は、選ばれた学級委員が決めたらいいと・・・」
A「風紀委員は皆で決めるべきです!風紀委員を決めるのは、クラスの皆さんです!皆さんが思う人に・・・」
B「人気だけで投票されてしまったらどうするの?」
A「風紀委員には皆さんが決めた人がなってもらうべきです!」
B「Aさんは質問に答えられないようです。」
A「皆さんの熱い正しい思いを・・・」
教師「Aさん!Bさん!まず、きちんと人の話は聞きましょう。」
小学校をイメージして書いてみた。高評価で問題クラスではないだろうか。
自分を持っている心と、他人を重んじる心は両立しないといけない。
簡単なことでないのはわかるが、国を、世界を操るぐらいの権力者を決める直前の討論が、これではどうなのか?と疑問が出てしまう。
お二人の「目的」が、アメリカをよくすることだと思いたい。
そんなとこで気になる映画に出会った。
隠岐で観れないことはわかっていても、大阪ですら十三の小さなシアターで2日間放映するだけらしい。どこかのオンラインで配信されるのを待つしかないか。