褒める。
褒める (ほめる)
人のしたこと・行いをすぐれていると評価して、そのことを言う。たたえる。「勇気ある行動を―・める」「手放しで―・める」「あまり―・めた話ではない」
goo辞書
「褒める」のがもっとも苦手で、褒められるのも天邪鬼な性格から勘繰ってしまう。
誰かを褒める機会があっても、決して過小評価しているわけではないのに、過大評価されると勘繰る自分の性格が、褒めることへの躊躇を生む。
話は変わり、この7月から社会教育主事(士)の講義を受け、年明けに修了を目指している。
この資格、何ができるわけでもないが、
「私は社会教育主事です。」と自己紹介ができる。
とのこと。
さて、第4回目になる昨日の講義「地域学習支援論」(オンライン)は、とても興味深い内容だった。
(ちなみに"支援論"は何度聞いても神龍(シェンロン)と黄色い7つの玉が頭を過ぎる。)
講義の内容をお伝えしたいところだが、諸問題に触れるため詳しくは控える。
なぜ評価をするのか、その価値観が変わった。
これまでの評価(つまり通知表)は、認知的能力のものさしとして機能していた。
例えば、小学校2年生1学期末には
デシリットル(dL)、ミリリットル(mL)などの「かさ」の概念、相互関係がわかる。
※ 正確に言えば「わかるということが証明できる」かどうかが基準となる。
しかし、これからの学校教育での評価はそこを目指していない。社会教育の観点が大きく加わっていると感じた。
ここで『社会教育』とは何か、を簡単に説明しておく。
社会教育とは、学校教育と家庭教育を除いた、全ての学習機会のことを指す。
教育が学校教育だけで終わるものではなく、仮に中学での点数が悪くても、いい生活が出来る社会を目指そう。
そういう発想である。
(端折った上の酔っ払い気味なので、細かな指摘は目を瞑りたい。)
混同しそうな『生涯学習』には学校教育と家庭教育も含まれる。
この視点において、まだ自我が芽生えて数年の小学校2年生で、他者評価が低いとどうなるか。少し考えていただきたい。
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意見は浮かびました?
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そう、その通り。
「自分は出来ない」と決めつける思考に走る恐れがある。
小学校2年生。人生の序盤でこれでは、出来るものも出来なくなる。
では何が必要か。
ここで出てくるのが 褒める である。
しかし、褒める作業には留意する点がある。
- 比較するのは、他人ではない。
- 褒める対象は結果ではなく、その過程に重きを置く。
元いちサラリーマンとしては結果が全てだったので、頭の混乱を拭うのに少々時間は要した。しかし、
いま出ていない結果に目を向けて能力向上を停滞させるより、今から出来る期待を持ち今出来ていることに目を向けた方が、 愉快ではあるまいか。
そんなこと「いまさら言われんでも知ってるわ!」と唾を吐かれそうだが、今の今まで腑に落ちた説明を受ける機会がなかった。
オンラインで1対36で画面越しに講義を受けているのに「なるほど」と何度頷いたことか。
無事に講習を修了できた暁には
「そうです。わたすが社会教育主事のチカラです。」
と胸を張って自己紹介しようと思う。
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最後に少しハマってる話。
決して「美味そう」と声が漏れるほどではない。
ただ、パンを焼くのも小慣れてきて、1,2個の小ロットで捏ねるようにもなった。