チカパンマン。
メカニズムを理解していないので、理由はわからない。
だが、隠岐の島にはよく虹が出る。
まるで有名な命の誕生の、星が煙突に流れ込む、あのシーンのようだ。いや、あのシーンそのものだ。
つまり、この島に誕生したのである。
チカパンマンが。
さて、実は今日情けなく、恥ずかしく、残念なことが起こった。
戒めのため、紹介しておく。
少し前、友人のところを訪れると、塩が大量に入った鍋が置かれていた。
ひと目で「なるほど」と合点した筆者は、その場で作り方を教わった。
きれいな海に囲まれたこの島で塩を買うなんてモッタイナイ。
なぜ気づかなかったのか。
思考にゆとりがない自分に反省しつつ、ちょうど切らしそうな塩の入れ物を思い出す。
家に帰り、海水を汲むために丁度いい容器はないものかと、部屋を見渡す。
あるではないか。
高正宗一升瓶。
高正宗は、隠岐の島町旧
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飲みきった空き瓶の中をサッと洗い、いつでも汲めるよう車に積んでいた。
いよいよあと数日で塩がなくなる、という今日、重い腰をあげるように海水を汲みに行ったのが間違いだった。
向かったのは、あれに名前があるのか、砂浜のコンクリ版、陸から海へとスロープが伸びる形の岸。車から降り、やっと塩が作れるとワクワクしながら、海辺へ歩いた。もしかしたら、ちょっとスキップ気味だったのかもしれない。
いざ、と手にした空き瓶を海に近づけようとしたその時だった・・・
ハッ!!
気付いたときには、ズボンはびしょびしょ、空き瓶は粉々、手は血まみれ。
そう。
水際に付着していた海藻に足を取られ、吉本新喜劇よろしく、見事に転んだようだ。先に空き瓶が粉砕され、体は海側へ滑りながら傾く。反射的に転ぶまいとその上に手をつく。(寒気がした人、ごめんなさい。)
なかなかの出血量ではあるが、患部の直接圧迫、心臓より高く手を上げ、その動作の傍ら最も近い水道を探す。これまで幾度となくした、不要な経験が役に立つ。水道は見当たらない。
ゆっくりはしていられないと判断したのと、すぐ近くが学校であったので保健室へ飛び込んだ。
やってしまった感が否めず、凹みながらも傷口をみると、如何にも!と言わんばかりに皮膚の下の何かが顔を出している。
応急処置を施してもらい、病院へ直行。
いくつかの診察の後、医師と”隠岐での新型コロナウィルスについて”の雑談をしながらの縫合手術となった。
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抜糸まで約2週間。
特別な用事はなく、バイトが入っているだけだが、クリスマスに間に合ってよかったと思う。
そんなこんなでしばらくお酒とお別れの初日、ビールみたいな珈琲を入れてみる。